2021/8/10

安満遺跡公園21-10

鏡に向かって人が、その人の顔を見ています。人は色んな目的で鏡に映っている自分の顔を見つめます。私が、鏡を見て自分の顔を見ているのは、髪をくしで整える為がほとんどです。じっと、我が顔を見つめるのは、おそらく自画像を描いている時ぐらいです。吹き出物が顔にできたとか、目が充血しているとか、やはり、何らかの目的を持っています。

心の鏡は、自分の良し悪しを照らし出します。その良し悪しを判断します。その判断根拠は感性だと思います。良さや美しさを感じ取る力です。何が良くて悪いのか、理屈ではありません。論の正しさや間違いを感じ取る判断基準でも有ると思います。

意識は鏡を見る目的を求めます。心の鏡を見る目的は意識されなくても、無目的に見ています。心の世界は、宇宙のようなものです。意識は、文字通りに認識された意だと思います。

だから、認識は人の生活行動にとって基本的な価値となります。そして、この認識は、心の世界が宇宙の様な広がりを持っているのと同様に、認識の世界も大きな広がりを持ったものでありたいと思います。おそらく、この認識の世界の大きさが心の大きさと繋がっているように感じられます。非寛容な世界とは、狭量な認識世界なのだと思います。






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