私の「生きる記録」~絵画作品の発表など~

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「きょうという日」:室生犀星

新芽
きょうという日
時計でも
十二時を打つとき
おしまいの鐘をよくきくと、
とても 大きく打つ、
きょうのおわかれにね、
きょうがもう帰って来ないために、
きょうが地球の上にもうなくなり、
ほかの無くなった日にまぎれ込んで
なんでもない日になって行くからだ、
茫々何千年の歳月に連れこまれるのだ、
きょうという日、
そんな日があったか知らと、
どんなにきょうが華かな日であっても、
人びとはそう言ってわすれて行く、
きょうの去るのを停めることが出来ない、
きょう一日だけでも好く生きなければならない。

あっという間に今年が来年になって過ぎ去って行きます。そんなものだから、「きょう一日だけでも好く生きなければならない。」