私の「生きる記録」~絵画作品の発表など~

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「絵の世界」を考える⑱

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現代美術は、<ポップアートとコンセプチュアルアートから始まる現在のアート>です。よく分からない作品群です。その傾向の作品の理論が分からないと芸術なのかどうなのかも分かりません。その作品を見る見方も学習しなくては分からない作品が多い。大きな歴史の流れから見るとルネサンスの解体の歴史が今日に至っていると言われています。発見と具現化から消費から新たな発見への繰り返しです。分解と再構成、破壊と創造の流れです。再構成や創造はその意味合いが新たに問われる事は批判精神が健全でなくてはなされません。哲学の領域のものです。だから、ますます分からない作品が多くなって行きます。そして、この現象は報道ージャーナリズム(英: journalism)とは、事実の伝達のほか、それについての解説や論評も含むーによって広く伝わります。その解説や論評は難解で理解に至らない。これは、流行です。この流行に不易な普遍性が介在すのか否かによって後世に伝える文化に昇華するかどうかが決まります。その評価基準は作品の生き生き感によって決まると私は信じています。流行の理論を理解して理解された理論で絵を創っても表現されるものは理論であって生命力を有する絵ではありません。確かに半面こうした流行に乗って生業とする人達は今もいます。私が若い頃はこの現代美術の流行時代で実験ですから思い付いたアイデアを行為し評論家が食いつけば寝て起きればスターになった、そんな裸の王様の時代です。しかし、多くの人々が理解出来ない理論作品は生活にとって無縁なものになり同時に文化とは疎遠になりました。一方でこんな流行と関わらない後世に伝える文化ー生き生き感ーを追求している人達(日本では絹谷幸二氏、草間彌生氏、東山魁夷氏)もいます。現実は両面で矛盾しています。